メインコンテンツに移動

2025年9月4日(木)

ADIS 2025 半導体設計で生み出すビジネスイノベーション

先進的な後工程技術が拓く、戦略的独自チップ開発の新時代

株式会社エンライト 伊藤 元昭
 

戦略性の高い独自半導体を開発することによって、ビジネスにゲームチェンジをもたらす。そんな試みを推し進める機器メーカーやIT企業が複数社出てきています。現時点でこうした動きを主導しているのは、米国のGAFAMやTesla、中国のBATHなど潤沢な資金力を誇る巨大企業が中心です。ただし、現在目覚ましい進化を遂げてきているチップレットや3次元パッケージなどの先進的後工程技術の利用環境が整備され、その特徴を積極活用できるようになれば、こうした動きがさらに多くの企業へと拡大していく可能性があります(図1)。

図1


図1 先進的パッケージ技術を利用して、戦略性の高い独自チップを開発
出典:筆者が作成、図中の写真はAdobeStock #1297548518

 

GAFAMなど圧倒的資金力のある企業だけが独自開発

競合他社に対する競争優位性を生み出すような高性能半導体チップを得るためには、現時点では、巨額の開発コストと製造コストの負担を覚悟する必要があります。ほとんどの機器・システムメーカーは、独自半導体、特に最先端プロセスで作るチップを自社開発することなど“夢のまた夢”といった状態です。このため、自社製品の競争力を高める手段は、標準仕様のプロセッサを購入し、その上で動かすソフトウエアを独自開発して差異化する方法を取らざるを得ませんでした(図2)。

図2


図2 潤沢な資金力を持つ巨大IT企業などだけが独自チップを開発できた
出典:筆者が作成

 

2000年以前には、日本においても多くの企業が、セミカスタム半導体チップであるASICを独自設計して競争力の高い自社製品を開発。圧倒的な性能を実現して、世界市場を席巻していました。しかし、微細化が進むにつれて設計・製造コストが急激に高騰したことで、独自半導体チップを開発することの経済的合理性が次第に薄れていきました。

しかし、ソフトだけで競争優位性を作り込むのと、ハードとソフトの両面で作り込むのでは、本質的に後者の方が有利になるのは自明です。現在、独自チップを開発していないほとんどの機器・システムメーカーも、本音では、独自チップを開発できるものなら活用したいと考えているに違いありません。

 

続々立ち上がる国内半導体工場、誰のため何のためにあるのか

日本国内では、既にTSMCの工場の稼働が始まり、ラピダスの工場でも2nm世代の試作チップが完成しビジネス化に向けて着実に前進しています。日本国内で先進的半導体チップを製造できる体制が着々と立ち上がってきていると言えます。

これらの工場は、日本政府の「半導体・デジタル産業戦略(いわゆる半導体戦略)」で描かれたシナリオの中で誘致・設置されました。政府の狙いは、半導体産業だけでなく、日本の製造業全体の国際競争力を底上げすることにあります。改めて確認しておくべきことは、半導体ファウンドリビジネスの国内立ち上げは、国内での半導体設計需要の向上との両輪で進める必要があるということです。

日本には、自動車や産業機器、重電などの領域で、グローバル市場で高い競争力を持つ企業が数多くあります。ただし、これらの領域の機器・設備では、機能や価値創造のデジタル化・スマート化が進み、製品に求められる機能が着実に変わりつつあります。ところが現時点で高い競争力を誇る日本企業も、デジタル化やスマート化で世界を圧倒的にリードしているとは言い難く、将来にわたって強くあり続けることが約束されている状態とは言えません。

そして、機器機能のデジタル化は、独自チップの開発が製品やサービスの競争力の醸成・強化につながりやすい状況を生み出しています。自動車産業のトヨタ自動車、産業機器産業の三菱電機やキーエンス、ロボット産業のファナック、重電産業の東芝や日立製作所、そしてそれらの企業を支えるIT産業のNECや富士通などが、独自チップを気兼ねなく開発・製造できる環境を整えることこそが、今の日本の半導体産業が目指すべきあるべき姿であるように感じます。

 

そもそもチップ上の回路すべてを最先端プロセスで作りたいとは思っていない

これまでこれらの日本を代表する企業にとっても、独自チップの開発には簡単に踏み込めない状況にありました。ただし、先進的な後工程技術を活用することで、独自開発の道が再び拓かれてきているように見えます。

そもそも、高性能な半導体を独自開発するのに巨額の開発・製造コストが必要だった最大の理由は、開発する大規模回路を集積したチップ全体を独自開発し、大面積のチップ全体を高価な最先端製造プロセスで製造する必要があった点にあります。

ところが、チップ全体を独自開発する必要があるのかと言えば、そのような例は稀ではないでしょうか。独自構成で独自演算機を搭載したプロセッサコアとメモリーをつなぐインタフェースに独自技術を投入したいが、メモリー内部や周辺回路まで独自構成にする必要はないといった、部分的独自開発を求めている例がほとんどであるように見受けます。また、チップ上の回路をすべて最先端プロセスで製造したいかと言えば、そうでもありません。周辺回路などは、成熟したプロセスで十分性能要件を満たすケースが多そうです。

近年、チップレットや3次元パッケージ技術などの先進的後(中)工程技術を活用して、最先端プロセスを適用する必要のない部分を最適なプロセス向けに設計し、合理的コストで製造できるようになりました。そして、独自設計が不要な機能ブロックについては、チップレットの形態で汎用的な標準品として外部調達できれば、独自開発すべき対象を大きく絞り込むことができそうです(図3)。しかも、DRAMや不揮発性メモリー、アナログ回路、パワー回路、RF回路、受動部品など、本来デジタル回路との1チップ化が困難な回路を集積できるようにもなります。こうしたヘテロインテグレーションと呼ばれる手法を適用すれば、1枚のダイに集積(モノリシック化)した独自開発チップよりも高い競争力を持つ可能性さえあります。

図3


図3 戦略的機能回路のみを独自開発し、最適プロセスで生産して独自チップ開発のハードルを下げる
出典:筆者が作成

 

一方、標準品として大量生産して販売されている最先端のCPUやGPUやGAFAMなどが開発する独自チップにおいて、量産可能な歩留まりを確保するためにモノリシックなチップの開発にこだわる風潮が廃れつつあります。そして、チップレットなどを活用した機能の個片化と製造プロセスの最適化が進められるようになりました。つまり、チップの開発・製造に向けた資金力の有無は、これまでほど大きな参入障壁にはならなくなってくると思われます。

 

独自半導体は、機器・システムビジネスのゲームチェンジャ

従来の最先端半導体は、どんなに資金力のある企業であっても、気軽に独自開発できるようなものではありませんでした。GAFAMであっても、明確な戦略的意図がない限り、独自開発には踏み込めないのです。では現時点で既に独自チップを開発している企業は、何を意図して独自開発を推し進め、開発したチップはどのように機能しているのでしょうか。代表的な取り組みと、得られている効果を少しだけ深堀りしてみたいと思います(図4)。

図4


図3 巨額投資で戦略的チップを独自開発
(左)Appleが最初に開発したパソコン向け独自チップ「M1」、(右)Googleがサーバー向けに開発した独自チップ「TPU」
出典:Apple、Google

 

独自チップ開発の威力を一般消費者にも広く知らしめた代表的企業が、Appleです。同社はかつてIntelの主要顧客でしたが、iPhone向けの「Aシリーズ」やMac向けの「Mシリーズ」といった独自のSoCを開発することで、独自半導体開発によって自社製品の競争力を高める戦略の先導役となりました。Mシリーズのチップ登場は、Macの性能を劇的に向上させました。旧世代のIntelベースのMacと比較して、CPU性能は最大3.5倍、GPU性能は最大6倍に達し、バッテリー駆動時間も最大2倍に延長。一般にパソコンが世代代わりする際の性能向上は数十%の改善がせいぜいです。この伸び幅はまさに革命的進化であり、戦略チップと呼ぶにふさわしいと言えるでしょう。

同社は、ユニファイド・メモリー・アーキテクチャ(UMA)と呼ぶ、先進的な機能集積を前提にしたシステム技術を導入するなど、後工程技術を上手に活用してきた経緯があります。次世代もしくは次々世代のMシリーズでは、チップレットの適用も噂されており、どのような新しい価値を生み出していくのかに注目が集まっています。

独自半導体の開発を前提にして、ソフト開発も含めたシステムレベルの最適化を推し進めているのがGoogleです。同社が独自チップに投入した技術の中には、同社だけでなく、他社も利用する業界標準技術になってきている例もあります。同社は、データセンター向けのAIチップ「Tensor Processing Unit(TPU)」から、スマートフォンに搭載する「Tensor SoC」に至るまで、より高度なAIの実装を目指した多数の独自チップを継続的に開発し、実機投入しています。

同社による独自チップ開発の動きの中で、注目したい成果をひとつ紹介します。「bffloat16(BF16)」と呼ぶ、AI処理に適した浮動小数点演算のデータ表記形式の導入です(図5)。BF16とは 1ビットで符号を、8ビットで指数を、7ビットで仮数を表記する浮動小数点データの表記形式であり、一般的な浮動小数点演算で使うIEEEで規定された「FP16」に比べて、指数部が多く、仮数部が少ない点が特徴です。深層学習の学習処理をチップ上で実行する場合、仮数部より指数部を高精度化した方がAIの性能が高まります。こうしたAIモデルの特徴を踏まえて、一般的な32ビット浮動小数点演算「FP32」と同等の性能をより効率的に実現することを目指して、AI処理に特化した数の表記形式をBF16として定義されました。

図5


図4 AIの学習に最適なデータ表記形式を独自定義してチップを設計、業界標準に
出典:Google

 

通常、AI処理で多用する乗算機の面積は概ね仮数幅の2乗に比例します。このため、BF16を利用すれば、同様性能のFP32用乗算器の面積を約1/8に縮小、もしくは同一面積のチップ上に約8倍のコア数を集積できます。ただし、BF16には適材適所の使い所があるとされており、AIモデルを開発するフレームワーク上でのソフト開発との擦り合わせによる最適活用が必須になります。つまり、チップ開発とAIのフレームワークを擦り合わせ開発できる企業のみが、圧倒的優位な技術開発を進めることができるのです。BF16の有効性は広く認知されており、NVIDIA、AMD、Intel、armなどがBF16に対応したAIチップを商品化し、既に業界標準となっています。現在のところ、Googleが独自チップ開発を前提にして確立した自社技術の業界標準化の強みを実利に変える動きは見えていません。しかし、独自チップ開発によって、自社技術の業界標準化を推し進めることができる先例を示したことは確かです。今後、こうした独自半導体開発を起点としたシステム技術の業界標準化で得た優位性をどのように活かしたビジネスをしていくのか注目できます。

 

後工程の進化で加速する、機器やシステムの新たな競争

GAFAMなどのこれまで独自半導体開発を推進してきた企業の内部では、特に他社に対する差異化戦略の手段としての独自半導体の使いどころに関する知見が着実に蓄積されてきていることでしょう。現在のところ、日本企業で同様の成果を明確に挙げているところは、残念ながら極めて一部に限られていると言えます。代表例は、ソニーや任天堂が、ゲーム機向け独自チップを開発してプラットフォームビジネスの展開に利用していることでしょうか。

ただし、armベースでスーパーコンピュータ向けCPU「MONAKA」を開発した富士通や、産業用のAIアクセラレータチップ「MN-Coreシリーズ」を独自開発するPreferred Networksのような新たな挑戦者も出てきています。今後は、先進的な後工程技術を積極活用して、より多くの国内企業が、戦略性の高い独自チップを開発していく環境が整ってきます。国内に立ち上がる半導体工場を活用した製造との相乗効果による、国内企業のさらなる産業競争力強化に期待したいところです。

ADIS


半導体は設計する時代へ:
システムアーキテクチャー、半導体設計・検証分野を議論するサミット

ADIS (Advanced Design Innovation Summit) 2025の詳細はこちら