2022年10月20日(木)
量子コンピュータ:期待の半導体サプライチェーン新市場
SEMIジャパン 安藤洋一郎
ここ数年、量子コンピュータの話題が頻繁に聞こえるようになってきました。そのきっかけは2019年にGoogleがNature誌に発表した、量子コンピュータがスーパーコンピュータの性能をはるかに凌駕したという「量子超越性」達成の論文だったのではないでしょうか。スーパーコンピュータが計算に1万年を要する問題をGoogleの量子コンピュータが200秒で解いたというものです。量子超越性の達成を巡っては議論がありますが、ここで使用された問題はGoogleの量子コンピュータの計算に特化されたものであり、実社会で解決する必要がある様々な問題を量子コンピュータが計算できるようになるには、道のりはまだ遠いのが現実とも言われています。本稿では、量子コンピュータの概要と技術課題、そして今後の産業化の予測と半導体サプライチェーンにとっての可能性を探っていきます。SEMIの取組についてもご紹介します。
実用化が見えてきた量子コンピュータ
量子超越性をGoogleに続いて2020年に中国科学技術大学も達成したと発表する中、量子コンピュータ開発大手は次々に野心的なロードマップを発表しており、いよいよ量子コンピュータの実用化も間近になった印象です。IBMが今年5月に発表したロードマップでは、2025年に4000量子ビットを超える量子プロセッサをクラスタ接続によって実現するプランが示されています。また、Googleは、2029年までに100万量子ビットのコンピュータを開発する計画です。100万量子ビットは汎用量子コンピュータに必要だと関係者が一般的に認識している数字ですから、計画が成功すれば2029年に真に実用的な量子コンピュータが誕生するということになります。2020年代の終わりまでに、量子コンピュータの世界の景色が変わるのではないか、との期待が高まっていると言えるでしょう。
量子コンピュータは、創薬や材料科学、金融商品開発、ロジスティックスの最適化、気象予測などの分野で活躍することが予想されており、実用化を視野に入れた中で、製薬、化学、金融、航空機、自動車などの業界から大量の資金が投入されています。また、半導体と同様に将来の経済や国家の安全保障の観点からも公的な資金が流入しています。直近の事例としては、英国のOxford Quantum Circuitsが東京大学を含めた投資機関から62億円を調達した例、量子チップを提供するフィンランドのIQM Quantum Computersが180億円を調達した例、中国Origin Quantumが200億円を調達した例などがあげられます。また米国のCHIPS法においても量子コンピュータが対象となっています。ボストン コンサルティング グループによる60名の専門家に対する調査によると、量子コンピュータが大きなビジネス価値を創出するのは、2035年~2040年頃と予想されます。
おさらい:量子コンピュータの発想から量子超越性の達成まで
ご承知のように、量子とは物質を構成する分子や原子、あるいはそれを構成する電子などを指し、これらはニュートン力学では説明ができない物理現象を起こします。これを理論化した量子力学は、量子の領域まで微細化が進む半導体の開発や設計にも応用がされています。1982年に米国の著名な物理学者リチャード・ファインマンが、量子力学を応用したコンピュータの概念を提唱したことから、量子コンピュータの研究が世界で本格化しました。1984年にはオックスフォード大学のドイッチュ博士が量子チューリングマシンを定義し、量子力学によるコンピュータのコンセプトが確立、さらに1994年にはマサチューセッツ工科大学のショア博士が素因数分解のアルゴリズムを考案したことで、最初の量子コンピュータブームが起こりました。現代の暗号技術はスーパーコンピュータでも解読ができない因数分解をベースにしており、これが解けるとなると暗号の機密性が破られてしまうという衝撃です。
このように量子コンピュータの理論が発展を続けたものの、ハードウェアの登場はまだ先のことでした。学者たちは、存在しないコンピュータの仕組みを研究し続けたのです。量子という極小世界の現象をどのように操作し計算を実行するかという根本的問題にブレークスルーを起こしたのが、二人のNECの研究者です。現在は理化学研究所に所属する、中村泰信教授と蔡兆申(ツァイ・ツァオシェン)教授が、1999年に単一電子トランジスタの研究の中で量子ビット素子を実現したのです。単一の量子を利用するのではなく、電気回路上の多数の電子の集団運動で巨視的サイズの量子状態を構成する超伝導(磁束)量子ビットです。2011年には、カナダのD-Wave社がこの超伝導量子ビットを搭載した世界ではじめての商用量子コンピュータを発表するにいたりました。D-Waveのコンピュータは量子アニーリング方式という、多数の組み合わせパターンの中から最適な解を求める計算に特化したコンピュータです。初号機はロッキード・マーチン社が、2号機はGoogleとNASAが購入しています。
より汎用性が高い、量子チューリングマシンを実体化したコンピュータは、量子ゲート方式と呼ばれます。この方式は、量子ビットに対するゲート操作をアルゴリズムに従って繰り返すことで複雑な計算を実行する、古典コンピュータのイメージに近い量子コンピュータです。D-Waveのアニーリングマシンを利用していたGoogleは、5量子ビットのゲート方式超伝導量子コンピュータを開発したカリフォルニア大学サンタバーバラ校のマルチネス教授の研究チームを2014年に招き入れ、ゲート方式の超伝導量子コンピュータの自社開発をスタートしました。そしてわずか5年後に、冒頭に紹介した「量子超越性」の達成に至ったのです。初期の磁束量子ビットは、量子状態を維持する時間(コヒーレンス時間)が1ナノ秒程度でしたが、ゲート方式の量子コンピュータでは、量子状態を維持した状態でゲート操作を繰り返す必要があり、回路を改良してコヒーレンス時間を数10マイクロ秒まで引き伸ばしています。
量子コンピュータの実用化に立ちふさがる技術課題
量子コンピュータの実用化が近づいたといっても、そのためには多くの解決しなければならない技術課題があります。量子コンピュータには、様々な方式がありますが、これまで紹介してきた超伝導量子コンピュータについていくつかの課題をあげます。
① 超伝導を実現するための超低温冷凍技術
量子コンピュータというと、巨大なシャンデリアのような装置を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。実は、あの巨大な筒は超伝導状態を作り出すために量子コンピュータチップを数ミリケルビンという極低温に冷却するための冷凍機であり、量子チップは先端にある、せいぜい数cm角のものです。冷却には2種類の液体ヘリウムの同位体を混ぜ合わせた際の希釈熱を利用した希釈冷凍機が必要とされ、量子コンピュータのシステムの巨大化による設置場所の限定が避けられなくなっています。
② 量子ビットの品質
量子ビットは、電磁波や温度などの外界からのノイズに非常に対して非常に脆弱で、すぐに量子ビットの状態が壊れてしまします。そのため、量子チップは何層ものシールドで保護されていますが、しかし量子ビットを操作するための回路や、量子ビット間のクロストークもノイズ源となるので、完全なノイズフリーの環境を実現することは困難です。そのため、量子ビットのノイズ耐性をあげてエラー率を下げ、量子ビットの状態を維持する時間(コヒーレンス時間)を長くするためのイノベーションが必要となります。
③ エラー訂正
量子ビットの状態が壊れても、エラーを訂正する技術があれば、コヒーレンス時間内にリフレッシュを繰り返すことで、コヒーレンス時間を無限に延長することができます。エラー訂正は1995年にMITのショア教授が量子情報を符号化することによって理論的に確立しているのですが、エラー訂正が可能な1論理量子ビットを構成するために、エラー率が1%の場合で1万物理量子ビットが、エラー率が0.01%の場合でも170物理量子ビットが必要となります。量子超越性に達したといわれるGoogleの量子チップSycamoreは53量子ビットですが、エラー訂正ができる汎用の実用量子コンピュータを実現するためには、エラー率が大幅に改善されない限り100万量子ビットが必要と言われています。
④ 高品質量子ビットの製造と集積化
量子コンピュータの計算は、確率の計算ともいえる完全なアナログのプロセスです。したがって、しきい値の上下で0|1を判定するデジタルコンピュータとは異なり、ひとつひとつの量子ビットの特性を均一化しバラつきを無くすことが求められます。量子ビットは超伝導物質が材料となりますが、微細な精密加工をするため、半導体プロセスを応用して製造されています。量子ビットの回路寸法は0.1mm程度と大変大きいのですが、最先端の半導体プロセスを上回る加工精度で形状を均一化することが理想です。さらに、量子コンピュータの実用化に必要な100万ビットを集積するためのスケーリングには、露光・直描、エッチング、テストなどの様々なプロセス技術の開発が求められます。
量子コンピュータの開発状況
上述のような技術課題を解決、あるいは回避するために、超伝導量子ビット以外の諸方式の開発も盛んにおこなわれています。しかし、それぞれに長所と短所があり、ひとつに絞り切れていないのが現状です。
超伝導方式の量子ビットは、これまでの量子コンピュータの発展の中心となってきました。IBM、インテル、Google、D-Waveなどの実績のある企業各社はいずれも超伝導量子ビットを採用しており、数ミリケルビンに冷却した量子チップによる計算を提供しています。しかし量子ビットのエラー率を劇的に改善するブレークスルーは起こっておらず、現状の技術では100量子ビット程度以上を集積しても各ビットのエラー率の乗算であるシステムのエラー率が高くなり全体性能はあがらないというジレンマがあります。その中でソリューションとして注目されるのが、複数の量子チップを組み合わせて大規模なコンピュータシステムを構成するアプローチです。IBMではこれにより4,000量子ビットへのロードマップを実現しようとしています。
現在、量子ビットの品質では他を圧倒しているのが、イオントラップ方式で、レーザー冷却により真空中に固定したイオンを量子ビットとして使用し、これをレーザー光に当てることで操作して計算をします。イオントラップ方式のもっとも優位な特徴は、コンピュータを冷却する必要がなく、電磁波の影響も受けにくいため、コヒーレンス時間が数10分と、超伝導方式と比較して大変長くなっていることです。しかし、レーザーをイオンに正確に照射する量子ビット操作に時間がかかること、集積化が超伝導量子ビットと同様に難しいことなどの課題があります。イオントラップ型量子コンピュータは国内ではあまり研究がされておらず、米国のQuantinuumやIonQなどが先行しています。
集積化という点で期待されているのが、シリコンスピン量子ビットです。これはシリコンで囲った空間に電子を閉じ込めて、そのスピン状態を量子ビットとして使用するものですが、何と言っても半導体集積回路のプロセスを製造にそのまま使用できるので、半導体でつちかわれた高集積化技術の転用により、100万量子ビットの集積も技術的には見えていることがアドバンテージとなっています。また、冷却温度についても、ミリケルビンのオーダーが要求される超伝導量子ビットに対して、1~3ケルビンという高温動作ができるため、システムの小型化が可能です。しかし、現時点では理化学研究所の3量子ビット、デルフト大学の6量子ビットでの動作確認が最先端であり、まだ開発の競争はこれからとなっています。日本では理化学研究所の他に産業技術総合研究所で研究が進められています。海外ではオランダのデルフト工科大学、また同大と連携しているインテルなどが最先端を走っています。
量子コンピュータと半導体製造サプライチェーン
このように量子コンピュータには各種の方式があり、この他にも光子を量子ビットとして利用するシリコンフォトニクス量子コンピュータなどがありますが、そのほとんどが半導体プロセスを応用して製造されています。量子コンピュータ各社は、IBMやIntelなど自社のファブで量子チップの製造が可能なところもありますが、それ以外の量子ベンチャーなどでは、今後量産するようになれば、半導体メーカーとパートナーシップを結ぶか、ファウンドリに製造委託をすることになるでしょう。現時点では、量子業界で積極的にアプローチしているファウンドリはGlobalFoundriesで、PsiQuantum(米、シリコンフォトニクス)、Eaual1(アイルランド、シリコンスピン)、Xanadu(カナダ、シリコンフォトニクス)、Archer Materials(豪州、シリコンスピン)とパートナーシップを結んでいます。
今後の市場の発展について、ボストン コンサルティング グループでは、技術サプライヤの市場規模が、2030年に2兆~4兆円規模に成長し、2040年には最大24兆円に達すると予測しています。現在の量子コンピュータはクラウドベースでの利用が基本となっており、設置台数はわずかですが、今後、利用者が量子コンピュータを保有して運用するオンプレミス化が進行すると、量子チップの製造が有意な規模になり、SEMI会員にとってもビジネス機会となる可能性が十分にあると考えられます。
その他にも、量子コンピュータに必要な次のような周辺ハードウェアやソフトウェアの開発も進んでおり、中には半導体製造サプライチェーンのプレイヤーもあります。半導体製造サプライチェーンとの協業の余地もあるでしょう。
- 量子チップ製造用電子ビームリソグラフィ装置(Zyvex社など)
- 量子コンピュータ用冷凍機(Bluefors、Oxford Instruments、住友重機械工業など)
- 量子ビット制御用のマイクロ波信号発生装置(Keysight Technologies、Zurich Instrumentsなど)
- 極低温特製評価用オートプローバー(Bluefors、FormFactorなど)
- 量子デバイスシミュレータ(imec、産総研/Q-LEAP、Nano Academic Technologies/STMicroelectronicsなど)
- 極低温環境の量子チップ制御回路用クライオCMOS素子(産総研/Q-LEAP/NEDO、インテルなど)
SEMIの量子コンピューティングへの取り組み
SEMIジャパンでは2019年より量子コンピュータへの取り組みを開始し、SEMICON Japanでのパビリオンやセミナーの提供をすこしずつ拡大してきましたが、2022年5月には量子コンピュータ協議会を発足し、本分野での取り組みを一層強化するにいたりました。以下に11月、12月に予定されている対外活動をご紹介します。
SEMIビジネスアップデート
量子コンピューティング最前線 -量子技術の今と未来-
11月2日10:30から量子コンピュータの市場と最新動向を、ボストン コンサルティング グループと日本アイ・ビー・エムが講演するウェビナーを提供いたします。
- 開催日時:2022年11月2日(水)10:30 – 11:55
- 会場:オンライン配信
- 参加方法:こちらからお申込みください
- 参加費用 : SEMI会員 0円、一般 5,500円(税込)
- 登壇者:
ボストン コンサルティング グループ 長谷川 晃一 氏、渡辺 英徳 氏
日本アイ・ビー・エム 小野寺 民也 氏
経済レポーター 大里 希世 氏(司会)
第3回 SEMICON Japan 量子コンピュータパビリオン
SEMICON Japanの展示会場に、量子コンピュータハードウェアを中心とする8の企業・団体が出展するパビリオンを開催します。
- 開催期間:2022年12月14日(水)- 16日(金)10:00 – 17:00
- 会場:東京ビッグサイト 東5ホール
- 参加方法:SEMICON Japanの来場・セミナー登録はこちらからお申込みください
- 出展企業・団体:
- blueqat、フォームファクター、JSR、キーサイト・テクノロジー、Zurich Instruments、産業技術総合研究所、住友重機械工業、SEMI量子コンピュータ協議会
- スポンサー:
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SEMICON Japan 量子コンピューティング開発最前線
SEMICON Japanでは日本の量子コンピュータ開発の最前線に立つ、理化学研究所と富士通の研究開発部門トップにご講演いただきます。会場でのリアル講演とオンライン配信のハイブリッド開催となります。
- 開催日時:2022年12月14日(水)12:30 –14:00
- 会場:東京ビッグサイト会議棟609会議室およびオンライン配信
- 参加方法:SEMICON Japanの来場・セミナー登録はこちらからお申込みください
- 参加費用:SEMI会員 6,600円、一般 13,200円(税込)(事前予約割引 *12/9(金)まで。以降一般価格案内)
- 登壇者/講演タイトル:
富士通(株) 富士通研究所 量子研究所 所長 佐藤 信太郎 氏
「富士通における量子コンピューティングへの取り組み」
理化学研究所 創発物性科学研究センター 副センター長 研究グループディレクター 樽茶 清悟 氏
「半導体電子スピンを用いた量子コンピューティングの研究開発最前線」
産業技術総合研究所 新原理デバイス研究グループ 上級主任研究員 森 貴洋 氏(司会)
また、量子コンピュータ協議会は隔月で会合を開き、業界情報のアップデートや技術や市場に関する講演を開催する他、上述のような対外活動の企画を行っています。本協議会に関するお問い合わせは、SEMIジャパンの安藤([email protected])、大田([email protected])までご連絡ください。